霧島氏について

元大関 霧島 一博

 家の長男で、子供の時から体を鍛えるのが好きで、中津川小学校3年生からは冬でも毎朝頭から水を被って 学校へ
行き、5年生からは3kgの鉄下駄を履いて坂道を上り下り、自転車のチューブで腕力を鍛えた。
サッカーに熱中し始めてFWを務め、牧園中学校でも続けたかったがサッカー部が無いので野球部に所属し、 2年生で柔道部に所属した。
 真面目で1日も休まず稽古して、3年生では姶良郡大会で優勝して鹿児島県大会に 出場する活躍で鹿児島実業高校や鹿児島商工高校から熱心に勧誘されたが、ラグビー選手を務める中学校の 先輩から勧誘されてラグビーを始めようと思っていた時に君ヶ浜の従弟に見出され、連絡を受けて訪ねて来た君ヶ浜から熱心に勧誘された。
しかし全く相撲に興味が無かったので渋ると、部屋見学だけでもと言われて両親と一緒に行くと雰囲気が良かったので母から勧められ、反対した父も折れたので入門した。

 霧島の名は郷里の霧島連峰に因んだ。美男で人気が有り、パリ公演では「相撲界のアラン・ドロン」と紹介された。

 大関から降格しても人気は変わらなかった。
軽量だが足腰が強く、昭和53年頃から始めたウェイトトレーニングと高タンパク食で次第に上位でも通じる筋肉質の体格を作り上げた。
左四つで両前褌を引き附けるか出し投げで崩して素早く寄る取り口で、出し投げは左右や組み手を選ばず吊りや「うっちゃり」も見せた。
軽量なので速攻の力士や突き押しの力士に苦戦したが、勝ち味が遅い力士には特に強かった。
大関推挙伝達式での口上は「稽古に精進し、大関の名を汚さぬよう一生懸命頑張ります」。

 思い出に残る取組として、平成 3年 1月千秋楽の北勝海に勝って幕内初優勝を決定した取組を挙げた。 「踏まれた麦は強くなる」を著した。

 現在は陸奥部屋を持ち後継者の育成に励んでいる

霧島氏からのメッセージ

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